チャイナペインティングの歴史2
ヨーロピアン絵付は東洋風?
当時の中国や日本からの白磁に描かれていた絵柄は、ヨーロッパでは見たこともない鮮やかな“柿右衛門”や東洋のブルーへの憧れをいだかせた“染付”(牡丹が多く描かれていた)でした。
当時人気のあった中国風(シノワズリ)の様式を取り入れた絵付師ヘロルトは、1720年頃から東洋風の菊や牡丹を描いた「インドの花」でマイセン窯の名声を確立しました。
1739年絵付師クレッチマーが、桃の木とざくろ(という説あり)の実にシャクヤクと竹を東洋のブルーで描きました。 マイセンの絵付師にはざくろの実が玉葱に見えたのでしょうか、これが有名な「ブルーオニオン(青い玉葱模様)」です。
その後マイセンをはじめヨーロッパ磁器工房の絵柄は、初期の東洋風からヨーロッパ的なものに変遷・発展し、現在はヨーロピアン技法といわれるようになりました。
特に、伝統的なバラのモチーフの組み合わせによるヨーロピアンスタイルの絵柄を、想いうかべる方も多いと思います。
イギリス産業革命とプリント磁器?
18世紀の産業革命により、イギリス経済は躍進し裕福な中産階級が増えて、磁器や紅茶の需要が飛躍的に増大しました。
1753年のジョン・ブルクスによる印刷絵付発明に引き続き、1784年には絵柄を彫った銅版にインクを塗り絵柄を写し取った薄紙で器にプリントする技法が開発され、大量生産で庶民に美しい器をもたらしました。
この時代に人気を博した絵柄も中国風で、中国染付の山水画をもとに柳(ウイロー)を中央に描いている“ウイロー・パターン”(1780年頃ミントン社が最初)が有名です。
ジャポニズムとチャイナペインティングの技法
17世紀末のヨーロッパで大評判となっていた古伊万里をザクセン王が収集した事がマイセン磁器発明のひとつのきっかけになったのですから、日本に住む私達とチャイナペインティングの不思議な関係を感じます。
当時のヨーロッパ磁器の絵柄には有田焼の影響もあり、ヨーロピアン技法のルーツのひとつは日本です。 また18~19世紀にも、浮世絵とともに柿右衛門様式の絵がヨーロッパ中で大流行したそうです。
そして1889年のパリ万国博覧会では、江戸幕府や薩摩藩・鍋島藩から伊万里磁器をはじめ日本の工芸品が出展され大人気を博し、ヨーロッパに“ジャポニズムブーム”を巻き起こしました。
19世紀末~20世紀初頭フランスを中心に流行したアールヌーボー・スタイルには、“ジャポニズム”が大きな影響を与えたそうです。
1910年代にも“ジャポニズム”が流行し、日本的絵柄の磁器が欧米に輸出されました。
20世紀に広まったアメリカン技法は、南米に移住した日本人が伝えた日本の磁器と絵付の技法を基に発展したとも言われています。
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